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勝林院の本堂屋根裏から出てきた棟札には、当家が安永 6年(1777年)から 3年の間、本堂再建のための資材置き場として土地を寄進するという内容が記されておりました。 逆算すると、ちょうど10代目当主の頃であったように思われます。 |
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約200年前の大火事により母屋は全焼いたしました。 寛政 9年(1797年)母屋再建のため奉行所に出された申請書が、今も当家に残っております。 建築様式は、四つ目建ちの商家造りで、当時の代表的な建物となっております。今なお母屋として使っております。 |
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| 春 4月の壬生狂言には『山端とろろ』という演目があります。 洛内にすむ富豪が伴を連れて花見のために当家を訪れて1泊、その夜強盗が押し入り、下男がとろろのすりこ木で渡り合ううち、とろろの鉢がひっくり返り、強盗は足を滑らせて捕まってしまうという滑稽なお話です。 |
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| 江戸後期の儒学者、頼山陽は、京都に書斎『山紫水明処』を営み、文人と交わっておりました。修史に関心が深く、詩文に優れ、書も達者でございました。 その書物『山陽詩鈔』という漢詩の中で、山端に遊ぶという題で紹介されております。 |
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| 幕末の頃には、岩倉に隠棲した岩倉具視を取り巻いて幾多の暗闘が展開されました。当家も勤王志士の会合場として睨まれ、新撰組に嫌がらせを受けたこともございました。 今もなお、母屋の入口には、そのときの刀傷が残っております。 |
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| 文学に当家の名が登場するのは、夏目漱石の『虞美人草』。 | ||||||||
| 徳富蘆花の 『思い出の記』にも当家の名が記されております。 | ||||||||
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